心のノートと愛国教育と日本人という共同体

昨日書いた「心のノート」について、気になったので更に調べてみると


心理学者の河合隼雄さんを中心に編集されたということですが、賛否両論、色んな意見がWEB上でも見ることが出来ました。



そんな議論に参加する気はありませんが、「心のノート」が愛国心を育てるためのものといった意見も多かった気がしましたし、愛国心を育てるということに対して、批判的な意見が多いような気がしました。


先の戦争時には、愛国心を強要するような教育が行われていたことも事実のようですが、それに対する反発や嫌悪はかなりのものなのだなと感じます。


「愛国」と書くと、なんとなくイメージが良くない気もしますが、本来、自分が生まれた、育った国を愛するということは、悪い事じゃないよね。



愛国心を育てる教育について云々言えるようなオイラではありませんので、それについては特に語りませんが、自分の国と自分との関わりについては感じることがあります。



それは・・・・



外国に行ったら、基本的には日本人である自分のことは、日本国しか守ってくれない。



と、いうこと。




もちろん、個人的に守ってくれる外国人の人はいるかも知れませんが、国として、日本人を守ってくれるのは当然ながら日本国です。当たり前ですが・・・



外国人と深く話をすると、特に感じますよね。外人は当然ながら 「君は日本人だよね。日本人としてはどう思う?」みたいなことを頻繁に聞いてきます。「君の国、日本ではどうなんだ?」とかね。


こちらとしても色んな意見を返します。日本のいいところ、悪いところ、問題や課題も含めて。そうすると、「君の国、日本はそうなのかぁ~」となるわけです。いい話も、悪い話もね。そして、自分の国はあーだ、こーだという話などになる。そんな時、日本はそんなにいいのなら、自分も日本人になろうとか、そんなに悪いのなら、いっそ日本人をやめて自分の国の国民になれよ。って話にはならない。もちろん、冗談でそんなコメントをする可能性はありますが、本心からそう言うってことは滅多にないんじゃないかな、というか本心でそういったことを言った人をみたことがない。


日本人が日本のことを批判したりするのは勝手だけど、外国人からみたら、勝手に頑張れよって話。自分の国の問題は自分で頑張るからって感じなんだよね。それは、愛国心ということとはちょっと違うかもしれないけど、国に対しても非常に当事者意識がある。まあ逆に言うと日本人は日本という国に対して国民としての当事者意識が薄い。そんな気はするんですよね。


海外に行くと、自分のアイデンティティというか、自分がどの共同体に属しているのかってことを肌で感じさせられることが多い気がします。そして、当然ながら基本的に日本人は、日本という国の国籍を持つ日本人という共同体の一員なわけ。


官僚が気に食わないとか、島国根性が嫌だとか、日本人で日本や日本人に対しても批判的な人は多いですが、批判は日本人以外の人も一緒にやってくれるけど、日本人という共同体に対して建設的な意見を持って、更にそれを実現させようと邁進する人は、日本人しかいないんだよね。外国の人はみな、自分の国に対してそういうことをやるけれども、自国ではない日本に対してはやらないんです。当たり前です。



だから、愛国とか、愛国心云々はよくわかりませんが、日本人である以上、他の国の人ではなく、日本人が自分の共同体の仲間だってことは、常に意識して物を考える必要があるんじゃないかな。って、、、オイラは思うわけです。



まあ、もっと大きな視線で捉えれば、地球人とか宇宙人とかっていう大きな共同体の一員ではあるわけなんだけど、現実的な話、共同体は国単位くらいのレベルで物を考えるのが世界標準のような・・・そんな気がするってこと。


いつになく、硬い話だったかな。。
下手な文章で何を言いたいのかわからないかもしれません。
でも、わかる人にはわかって貰えるんじゃないかなって思うんだけど・・・。な。




  
  

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